#5 映画への道③ 女優烏丸せつことの再会

2013年4月22日

私に「映画を創りなさい」とハッパを掛け続けた人がいる。

女優の烏丸せつこさんである。

烏丸さんとは、1989年、私がかって在籍していた制作会社(株)ドキュメンタリージャパン時代、テレビドラマを初監督した時の主演女優である。

番組はテレビ東京「女のサスペンス 死の郵便配達」(脚本/西岡琢也 出演/烏丸せつこ ビートきよし 赤座美代子 新井康弘)

この番組がなんと21年経って再放送される事となった。21年前のドラマが、今でも通用するのか・・不安になった。すると、当時APだった、テレビ東京の橋本かおりプロデューサーからメールが来た。「現在視聴しても、私のラインナップの中でも秀逸作品。烏丸さんが殺人後、そうめんをすするシーンが特に好きです」と。

その再放送がきっかけで、烏丸さんと再会する機会を得た。

ドラマを撮った時の烏丸せつこは34歳。郵便の誤配から、同姓同名の女性を殺してしまう人妻役を、色っぽく、汚く、コケティシュに演じてくれた。カメラは、『樹海のふたり』でも組む山崎裕が、ドキュメンタリータッチで匂い立つようなリアリティを醸し出した。撮影は8日間。青山の古びた団地と、開発が進む湾岸地帯を映像合成し、ミケランジェロ・アントニオーニ監督が創りだす「風景の圧迫」を意識しながら撮り進めた。

再放送後、多くの方からメールをもらった。どれも好評で、ネットでも烏丸せつこファンの話題となり、画像がUPされたりした。

烏丸せつこ・・・クラリオンガールとして芸能界デビュー後「四季・奈津子」(1980年 東陽一監督)で主役に抜擢され、いきなり日本アカデミー主演女優賞を受賞し括目された。しかし、私がその存在に衝撃を受けたのは30歳の時に観た映画「マノン」(1981年 東陽一監督・川上皓一撮影)である。その童顔の中に隠された肉体美・・・自分では押さえようのない性のマグマを抱えた、危うい女の<業>を演じられる希少な女優として、注目して来た。脚本家の西岡琢也の勧めもあり、迷わず「死の郵便配達」の主役をお願いした。

そして、烏丸さんと21年ぶりにお会いした。55歳になられていたが、その存在感は独特で、突き刺すようなオーラが放たれていた。

S KARASUMA

当然「死の郵便配達」のことが話題となり「あの場面はこうすければ良かった・・」「あのカットは凄く好きです」など、いまだに作品に執着する烏丸さんの役者魂に驚かされた。

そして、「山口監督には是非映画を撮って欲しい。貴方には才能があるのだから、もったいない。遊んでいる時間はないのです」など檄を飛ばされた。烏丸さんは、私の病気の事を人づてに聞き、励ますつもりだったのだろうが、歯に衣を着せない鋭い言葉は、魂に響き、背中を強く押された事は確かである。

その後も烏丸さんから、小説や映画のDVDが不定期的に送られて来た。「この映画は面白いから観た方がいい」「この小説は映画のヒントになるかも・・」

韓国映画 イ・チャンドン監督作品ペパーミント・キャンデイ」(1999年)「オアシス」(2002年)「シークレット・サンシャイン」(2007年)。邦画では「ユリイカ」(2000年 青山真冶監督 )などだった。中には、私がすでに観た日活ロマンポルノの傑作「マル秘色情めす市場」(1974年 田中登監督)などもあった。

烏丸さんは勉強家であった。映画を愛する純度は高かった。そこには女優として生きて行こうする渇望と、意志の塊(かたまり)を感じた。それを示す事により、映画から遠く離れていた私を呼び戻そうとされたに違いない。映画的同志を得た私は、休眠していた「創作脳」を刺激され続けた。

烏丸さんには、「樹海のふたり」では、宿泊所の受付、理由ありの謎の女・茂子を演じてもらった。短いシーンだが、烏丸せつこが画面に出ると、何故か映画に重しがかかる。

烏丸さんには、「樹海のふたり」では、宿泊所の受付、理由ありの謎の女・茂子を演じてもらった。短いシーンだが、烏丸せつこが画面に出ると、何故か映画に重しがかかる。

2010年の冬、私の体力も回復し、正月休みを使って脚本を一気に書き上げた。書き始めてエンドマークを付けるまで、推敲などせず、7日間ぶっ通しで書いた。300枚を超える第一稿を柏井プロデューサーにメールで送った。

大変面白く読みました。可能性を感じます」という返事が来た。

次回からは「キャスティング裏話」です。

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